マダム・バタフライ        

     モハメド・アリの娘が再び世界を制す

        Laila Ali ライラ・アリ

                   資料提供:キャロル・アン・ウェバー筆
                   写真提供:リック・シャフ
                   翻訳編集:
S&F MAGAZINE
                                       

「ウーン カシャッ、ウーン カシャッ、ブー」 ハイスピード・カメラが織り成す小気味良いリズムが、ブーというブザーで遮られる。 所はロサンゼルス・ボクシング・クラブ。 そのブザーは、隣でスパーリング をしている部屋からです。
「グレイト! それそれ!サイコ−!」とカメラマンの口からは、この世で最も美しい女性だけに値する言葉が洩れ続ける。
その流れるような美しい黒髪、褐色の肌、176cmの身長の3/4を占めるかの様な引き締まった下半身は、リングライトの元光り輝く。 そしてチョッピリ艶のある唇。 それはほんの少し位置を変えるだけで、男のハートを釘付けにするだけの魔力を持つ。 時にはカメラマンを焦らし、意のままに操るその姿は全くナチュラルで、あたかもレンズを魅了する為にこの世に舞い降りて来たかのよう。 その理由はどこか懐かしげの有る、彼女の眼差しに有るようです。 その茶色の瞳は悪戯っぽく可愛気を放つ反面、同時に奥深くには、世界中の人からの注目を求める炎と情熱が垣間見れます。 しかしこの悪戯っぽい眼差しがひとたびリングの中でキラリと輝く瞬間、それはたった一つを意味するのです・・・Kock Out (ノック・アウト!

お父ちゃんの目
伝説のボクサー:モハメド・アリはリングを制覇したと呼ばれましたが、それはボクシングのテクニックのみでなく、心で相手を倒していたと言ってよいでしょう。 リングの中のモハメド・アリは時にはおどけ、時には威嚇し、相手の虚を突くのが巧みでした。 
その伝説のボクサーの9人いる子供の、下から2番目の娘が、今新しいジャンルの”女性ボクシング”で、父:モハメド・アリの伝説を継承する事になったのです。 その娘の名は、--- ライラ・アリ。 ライラ・アリは正に、父:モハメド・アリの””です。 そして彼女の目は正しく、伝説のボクサー:モハメド・アリの””です。

恐らくあまり知られていないでしょうが、初代女性ボクサーのバーバラ・バトリックによると、女性ボクシングは1900年代の初め頃から有ったそうです。 しかし当時良く有るように、それはあたかもサーカスの前座のような見世物的扱いに過ぎませんでした。
その当時収益を上げるキャッチとして、会場にいる観客から「我こそは!」と望む対戦相手を募り、ファイトをし、町から町を巡業したそうです。 当時の人々は、女性が真剣にリングで戦う事に抵抗を感じていたようです。 しかし、その女性ボクシングという否定的な過去のイメージも、このライラ・アリというスーパースターの誕生で間違いなく変わるでしょう。

メディアは、彼女がリングに立つ以前から盛り上がっており、初めての記者会見の頃には既にマダム・バタフライというニックネームで彼女を呼んでいたのです。 
去年10月初めて試合をしたものの、彼女が記者団を試合会場から締め出していなかったなら、恐らくメディアはお祭り騒ぎになっていたでしょう。 
そんな好奇心を募らせた世の人々の疑問は、「彼女は本当に強いのか?それとも親の七光りで注目を集めているだけなのか?」という事です。  そのような質問に彼女はこう答えます。 「人が自分の好きな様に想像するのは自由ヨ。 でもこの答えばかりは時間が経たなきゃ分からないワ。 ボクシングについては、遊びでなく真剣ヨ。 実際モデルの話しも有ったけど、私はコレに決めたの。 こんなの面白半分で出来るものじゃないワ。 だってファイトマネーだってシレてるんだから」と。

これがお前の本当にやりたい事か?
 次の主なる世間が持つ質問は、「で、お父ちゃんは自分の娘が後を追って、この危険で汚いスポーツをする事をどう思っているの?」
です。 ライラ・アリはその質問を、父に対する愛情を露わにこう答えます。 「私がボクシングをする事について、父は反対していると人に思われがちだけど、実際はそうでは無いの。 確かに私がボクシングをしている事に初めて気付いた時は、止めて欲しそうだったけど、それは父がモスラム教信者だからなの。 モスラムでは、女性は家に居るべきだという古い考えを持っています。 だから父が最初快く受け入れなかった理由は、単に私がボクシングをしているという事でなく、私が小さなスポーツブラとショーツで人目に曝されたり、その上怪我をするかもしれないという事だったの。 私がボクシングをやっている事に初めて気付いた時、父がワタシにこう言ったの - コレがお前の本当にやりたい事か?- と。 でも今では - お前もオレみたいにもうすぐなるんだなァ - と言って、時に初試合の事を教えなかった事について、不満を洩らす程ヨ。 父はワタシを応援し、喜びを分かち合いたいの」と。

お母さんとの二人三脚
モハメド・アリの3番目の妻(ベロニカ・ケネディ)の次女として生まれたライラは、8歳の時両親が離婚して以来、カリフォルニア州のマリブ(西海岸の超高級リゾート・タウン)で育てられました。 その為父とは疎遠の幼少期を過ごします。
ボクシングを始める前は、サンタモニカ・カレッジを卒業したところで、大学院に進学するつもりでした。

マリブのお嬢さま
少女時代はかなりの暴れ者で、彼女の攻撃的な態度が原因で、コブシで殴り合う喧嘩に巻き込まれる羽目になった事も多々有ったとか。
彼女は、16歳の頃万引きで捕まり、その後もっと大きな犯罪(とても紙面で言えまセン)を犯し、少年院という名の”別荘”で3ヶ月間バケーションを過ごしたという、輝かしい経歴を誇る、由緒正しき”マリブのお嬢さま”です(どごガやねんッ!:編集部)。


  ”バタフライ(蝶)のように舞、蜂のように刺す”と唄われた
            伝説のヒーロー:モハメド・アリ

そんなライラを前向きに生きるようにしてくれたのは、母ベロニカのお陰と彼女は言います。 
母は、彼女に健康的なライフスタイルとして、エクササイズと正しい食事法を教えました。 そんな母は、もちろん今迄全てのライラの試合に招待され、ライラを応援して来たのです。

成功のキーは汗? それとも遺伝?

ライラは今迄真剣にエクササイズやスポーツをする事は無かったと言います。 確かに父とスパーリングをしたり、サンドバッグを殴ったりした事は有りますが、何れも遊び程度でした。 
そんなライラに、およそ1年ほど前に転機が訪れます。 それはテレビで女性ボクシングマッチが生中継されたのを、たまたま見て
しまったのです。  それを見た瞬間、「私にも出来る!」と叫んだそうです。 その数日後、彼女はロサンゼルス・ボクシングジムでトレーナーに、自分にも出来るかどうか尋ねていたのです。 「ヨシ!じゃあ一丁打ってみろ!」とトレーナーに試されたライラ。 確かに彼女には有るべきものが有ったのです。 そしてその日から、ボクシングが彼女の毎日の生活の一部となったのです。
次のページに続く・・・

 

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