2000年4月

2-1

 

資料提供: キャロル・アン・ウェバー
写真提供: トム・ダイペス
翻訳編集: S&F MAGAZINE



ニュースでは、
彼の事を”人工芝生の犠牲者”と呼んでいます。 
その運命の日、いつもの如くアンダーソンは左に切り、右に切り、そして得意の相手のディフェンスを力づくでブチ破る瞬間でした。 いつもなら相手のディフェンスが、ボーリングのピンの様になぎ倒される筈が、アンダーソンが地面に伏し、右膝を抱えたまま、痛みにのた打ち回っているのでした。

最初の診断では、右膝の捻挫と診断されましたが、その後の記者会見では、ACL(右膝靭帯断裂)の為今シーズンは欠場すると発表されました。 
このニュースは壊滅的でした。 当時ランニングバックのバイロン・ハンスパードが、既に同じ怪我で欠場しており、文字通りアンダーソンの双肩にファルコンの運命は委ねられていたのです。 アンダーソンにとって落胆は言うまでもなく、ファルコンファンにとっても、これでスーパーボールに出場する可能性が大きく遠のき、絶望的でした。
ファルコンファンが、怪我をしたアンダーソンの様に痛みにも似た呻き声を洩らし悔しがるのもその筈、怪我が起こるまでのアンダーソンの成績は、トータル2,165ヤード、タッチ ダウン16回という、1998年のナショナル・フットボール・リーグの攻撃手No.1となっており、言うまでもなくファルコン・チームが創設されて以来のベストシーズンだったのです!


たった1つの俺のやり方
アンダーソンが4歳の頃、テレビでフットボールを観て「僕もあんな風に相手を傷めつけたい!」と大人になるのを待ちどうしいばかりに叫んだ事が、今となっては皮肉にも痛めつけられた立場になり、しかも相手に接触する事無くです。
「俺が唯一知っているプレーする方法は、肉体を相手に激しくぶつける方法だけだ」とシーズン前のインタビューで話した様に、アンダーソンがフィールドに出ると、相手方のディフェンスは恐怖を募らせます。 「baby-faced assassin(可愛い顔した殺し屋)」、「runaway train(暴走列車)」、「human wrecking ball(人間破壊玉)」と呼ばれる様に、彼のプレーするスタイルは、超人的なパワーとスピードから来る、揺るぎ無い自信が有ってからこそです。 アンダーソンは知っているのです。 トレーニングジムやフィールドで流した血と汗と涙が、たとえどんな物が敵から投げつけられても彼を突き進めさせてくれる事を・・・。

1979年、アンダーソンの父がモハメッド・アリにボディガードとして雇われた時、家族はニュージャージー州からウッドランドヒルズに引越しする事になりました。 そしてモハメッド・アリのお陰で、アンダーソンは沢山のスタースポーツ選手(マイクタイソン、レイ・レオナード、ドナ・サマー、リチャード・パイラー等)に囲まれる少年期を迎えます。 その影響もあって、彼の学校から帰宅した娯楽は、普通ならテレビゲームという所が、もっぱ らバスケットボールやベースボールとなります。 後に少年野球で鍛えた下地が、ハイスクール・フットボール選手としてアンダーソンを開花させる事になります。

ウエイトトレーニングに関しては、”ボールはそんなに重くない!”という理由で最初は拒んでいましたが、やがてスポーツで成功するには毎年レベルアップする重要性に気付き始めると、ボールがだんだん重く感じるようになったのです。 自称”遅咲き”と言うように、ユタ州立大学の3年生になるまで、ウエイトトレーニングをした事がなかったそうです。
「俺が大学1年生の頃、プレーしているだけで体重が10kg増え、その後ウエイトトレーニングを開始し、体重が更に113kgまで増え、まるで風船の様に膨らんでスピードも落ちたよ。 でもその翌年にはトレーニングとコンディショニング法の勉強の甲斐あって、107kg(現在のシーズン中の体重と同じ)まで落とす事が出来たんだ」とアンダーソンは言います。

闘争本能
 大リーグのソーサとマグワイヤーと同じく、アンダーソンにとってブロンコスのランニング・バックを務めるタ−レル・デイビスは良きライバルで、お互いにレベルを向上し合う良い刺激となって来ました。 (皮肉にもアンダーソンが負傷した2週間後に、ターレル・デイビスも同じ怪我でシーズンを欠場しています) 「俺達お互いシーズン中、どの位置に自分達がいるのか良〜く知ってるよ。 でもターレルと一緒にNFLのベスト・ランニング・バックとして俺の名前が出てくるのは誇りに思うよ」とアンダーソンは話します。

闘争心の炎は、常にアンダーソンの心で燃えています。 彼が初めてユタ州立大学のウエイト・トレーニング室に足を踏み入れた時の事です。 80kgそこそこの男が170kgのベンチプレスを挙げているのです。 当時140kgすら挙げる事が出来なかったアンダーソンは、その後躍起になってトレーニングに励み、現在では210kgを挙げる記録を樹立するまでになっています。 因みに現在スクワットは300kg、レッグ・プレスなら680kgを挙げます。

タダでは転ばない
現在27歳、カリフォルニア州出身、タッチダウンした後、体を揺する様にして踊るパフォーマンスからダーティ・バード"Dirty Bird"と名付けられ、観客を楽しませるアンダーソンは、過去3シーズン欠場した事もなく、又骨折を今迄経験した事も有りません。 それは一重に、彼の惜しみない日々の努力の結果に他ならないのです。 しかしそんな彼も、今まで遭遇した事の無い”怪我”という敵と戦わねば成りません。 

「今年の12月迄にコンディションを100%に復帰させるつもりです」と、記者会見で話したアンダーソン。 「たとえそれ迄に間に合わなかったとしても、それよりそう長引く事は無いだろう・・・。 実際オレのトレーナーと、その事について出来るかどうか賭けをしてるよ」 と、うアンダーソン。 という事は・・・つまり・・・ダーティ・バードのダンスが又観れるという事です!

ファルコン・チームのストレングス&コンディショニング(Strength & Conditioning)コーチのヘッドを務める、アル・ミラー氏こそ、アンダーソンと賭けをした男です。 彼曰くアンダーソンは、"tough kid"(タフな奴)だそうです。 
アンダーソンなら、ミラー氏が作った"tough love"(愛のムチ)トレーニングに付いて行くだけの素質と根性が有るとミラー氏は言います。 
「奴の体がトレーニングして良い状態に戻ったら、俺達のゴールは奴の体を前のコンディションに戻す事ではなく、怪我する前よりもっと良い状態に持って行く事です。 先ずは体脂肪率を低くし、筋力を更にアップ、そしてスピードも前にも増してレベルアップさせるつもりです」と、ミラー氏。
回復は焦らず
リコンディショニング(治療)は、実際手術の前から始まっています。 先ずは昔ながらのR-I-C-E(頭文字を取って略して”ライス”)法です。 それは、Rest(休養)、Ice(冷却)、Compression(圧力)、Elevation(上げる)です。 その後腫れが引いたら、早速専門医が膝の稼動範囲が戻るようリハビリにとりかかります。 「後は手術で膝を開けた医者が、何を見付けるか次第です」と、ミラー氏。 
もし、手術で膝を見事縫い付けに成功したなら、アンダーソンはフィジカル・セラピストに委ねられます。 そこでは足をマシーンに固定され、強制的に膝を曲げたり伸ばしたりする運動をさせられます。 その後足がしっかりしてきたなら、トレーニングジムで怪我をした足以外のトレーニングをする事が許されます。 
「どの怪我をした選手にも言える事ですが、トレーニングを開始すると新陳代謝のスピードが上がり、怪我の回復も早くなる為、怪我をしていない部分のトレーニングを皆にさせます。 そして怪我の回復が順調であれば、8週間以内に怪我をした足の負荷トレーニングを開始します。 具体的には、歩く、軽いウエイトでのパーシャル・スクワット、踏み台昇降など、何れも退化した足の筋肉を回復させようとする、穏やかなエクササイズです」
 
 次ページに続く・・

アトランタ・ファルコンの
ストレングス・コーチ
アル・ミラー氏

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