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今や世界クラススポーツ選手がドラッグテストに引っかかる数は、史上空前の数字に上っています。 陸上競技だけでも、オリンピックゴールドメダリストのリンフォード・クリスティや、過去3回ゴールドメダリストであり、最近では全米100メートルチャンピオン走者のデニス・ミッシェル、ヨーロッパ200メートルチャンピオンのドウ・ウォーカー、ハイジャンプの世界記録保持者ジャビア−・ソトメイアー、長距離ランナーのメリー・スラニー等があげられます。 ドラッグテストに引っかかるのは他のスポーツでも同じで、テニス、競馬、クリケット、サッカー、野球、ローラーホッケーなどがその例です。 しかし最近最も注目を浴びた例は、大リーガーのホームラン打者マーク・マグワイヤー選手です。 彼はステロイドの使用を認め、苦い記者会見となりましたが、野球では薬物使用は合法となっているので誤解なく。 一般の目には、純粋なスポーツスピリットがクスリにより汚された様に見えるかもしれませんが、スポーツ選手の立場からすると、勝つ為には手段を選ばないというのが本音のところです。 面白い実話で、前回のオリンピック開催の前に、サンフランシスコ新聞社がオリンピック選手を対象にアンケートをとった事が有りました。 質問は「もしあなたに金メダルを保証する薬があったら摂りますか? 但しその薬を摂取すると、あなたは2年以内に死にます」というものです。 驚く事に75%がイエス!と答えているのです。 最近ある世界クラス短距離走者と話した時、私にこんな事を言った事を思い出します。 どの様ににしてテストが始まったのか?
<はじめての薬物検査実施事件> 1968年、グレノブル冬季オリンピックで、初めて大規模なドラッグテストが行われました。 ドラッグテストを開始した当初は、主に興奮剤やアナボリック・ステロイドをチェックしていましたが、興奮剤はともかく、ステロイドの検査は難しくコストが高く付きました。 やがて技術が進み、ステロイドを検知しやすくなったものの、ステロイドの種類によっては、テスト前2週間から4週間に使用を止めると、全く検知出来なくなる物も有りました。 そこでオリンピック委員会は、無差別に選手を選んでテストをしようと試みたのです。 ところがソ連の様な閉ざされた国は、テストをかたくなに拒んだのです。 そうすると当然西側諸国も、「ソビエトをテストしないなら、こちらにもするな」と抗議したのです。 仕方なくオリンピック委員会は、抜き打ちテストに踏み切りる事を決断するのです。 有名な1974年カラカスで開催された、パン・アメリカンゲームズが、最初の犠牲者達です。 当時沢山の選手が試合前の夜中に、会場を後に夜逃げを企みましたが、待ち構えていたリポーターやカメラマンに包囲されてしまったという事件です。 1980年代の最初、オリンピック協会は無差別に選んだ出場選手に、試合前48時間以内に尿サンプルを提出するよう要求しました。拒否した場合は、ドラッグ使用者と同じ扱いとし、罰則を与えたのです。 その場合、1回目は2年間の出場停止、2回目は永久追放というものでした。 しかしこの罰則も、決してフェアというものでは無かった様です。 ある者は、違法のクスリと知らず使っていた薬が検知した為、永久追放に追い込まれ、又ある者は、弁護士や政治家のコネを利用して罰則を逃れようとしました。 その当時伝説と謳われた沢山の選手が、テストに引っ掛かった後、自己の名誉を汚さぬよう、黙って引退するようオリンピック委員会に催促され、実際に沢山引退して行ったという話は余りにも有名です。 1歩先を行く 成長ホルモンはドーピング・コントロール研究所にとって現在悩みの種です。 というのは成長ホルモンは尿に出てこないからです。 科学者は、体外から摂取された成長ホルモンを、血液検査で検知する確かな方法を考案したのですが、現在のドーピングルールでは、血液検査の許可は降りていません。 従って現在の競技者にとって、筋肉増強剤のチョイスとしては、非常に有効な成長ホルモンとなっています。 但し安くはありません。 1週間およそ$200-$600
かかります。 |