ドラッグテストの現状と未来

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原本執筆:Dr.トーマスD.ファヘイ
翻訳編集:S&F MAGAZINE

 

今や世界クラススポーツ選手がドラッグテストに引っかかる数は、史上空前の数字に上っています。 陸上競技だけでも、オリンピックゴールドメダリストのリンフォード・クリスティや、過去3回ゴールドメダリストであり、最近では全米100メートルチャンピオン走者のデニス・ミッシェル、ヨーロッパ200メートルチャンピオンのドウ・ウォーカー、ハイジャンプの世界記録保持者ジャビア−・ソトメイアー、長距離ランナーのメリー・スラニー等があげられます。

ドラッグテストに引っかかるのは他のスポーツでも同じで、テニス、競馬、クリケット、サッカー、野球、ローラーホッケーなどがその例です。 しかし最近最も注目を浴びた例は、大リーガーのホームラン打者マーク・マグワイヤー選手です。 彼はステロイドの使用を認め、苦い記者会見となりましたが、野球では薬物使用は合法となっているので誤解なく。

一般の目には、純粋なスポーツスピリットがクスリにより汚された様に見えるかもしれませんが、スポーツ選手の立場からすると、勝つ為には手段を選ばないというのが本音のところです。 面白い実話で、前回のオリンピック開催の前に、サンフランシスコ新聞社がオリンピック選手を対象にアンケートをとった事が有りました。 質問は「もしあなたに金メダルを保証する薬があったら摂りますか? 但しその薬を摂取すると、あなたは2年以内に死にます」というものです。 驚く事に75%がイエス!と答えているのです。

最近ある世界クラス短距離走者と話した時、私にこんな事を言った事を思い出します。
「ドーピングテストというのは、オリンピック協会と競技者のイタチゴッコだ。 トップ競技者は、医者や薬物専門士を雇い、ありとあらゆる手段で法の目をくぐろうとするよ。 確かに凄いお金が必要だけど、競技者で居たいならそうするしか方法はないんだ。 事実、世界クラスの大会で、薬の助け無しに競技しようなど、この業界を知らない者が考える事さ」と。

どの様ににしてテストが始まったのか?
ドラッグで競技能力を向上しようとした歴史は、スポーツの歴史が誕生した時から存在したようです。 古代ギリシャの競技者が、運動能力を高める為に、秘薬を作って飲んでいた記録は有名で、南米インカの戦士は、空気の薄いアンデスでの戦いに備え、麻薬の葉を噛んだと言います。  又過去には、持久力を補う為、酸素ボンベで呼吸を整える事や、ボクシングやサッカー選手の場合、ブランデーとコカインを混ぜた飲み物で、試合前に士気を高めたと言います。
勿論第二次世界大戦中も、ステロイドと興奮剤を使った事も記録に残っています。 

やがて戦争が終ると、スポーツという冷戦が始まり、国の名誉を賭けた戦いが始まります。 そんな状況の中、薬が国を挙げて奨励され、使われ始めたのです。 その結果、1960年から1963年の間に、自転車、ボクシング、陸上競技選手などが、続々と薬に絡んだ死を遂げます。
これには世間も肝を潰し、スポーツに対する不信と不安を募らせ始めます。
そこでオリンピック委員会は、アンチ・ドラッグポリシーというのを打ち立てました。 その内容は、1.選手の健康を守る、2.スポーツと医学の倫理を守る、3.全ての競技者に平等にチャンスを与えるというものです。

<はじめての薬物検査実施事件>

1968年、グレノブル冬季オリンピックで、初めて大規模なドラッグテストが行われました。 ドラッグテストを開始した当初は、主に興奮剤やアナボリック・ステロイドをチェックしていましたが、興奮剤はともかく、ステロイドの検査は難しくコストが高く付きました。 やがて技術が進み、ステロイドを検知しやすくなったものの、ステロイドの種類によっては、テスト前2週間から4週間に使用を止めると、全く検知出来なくなる物も有りました。 そこでオリンピック委員会は、無差別に選手を選んでテストをしようと試みたのです。 ところがソ連の様な閉ざされた国は、テストをかたくなに拒んだのです。 そうすると当然西側諸国も、「ソビエトをテストしないなら、こちらにもするな」と抗議したのです。 仕方なくオリンピック委員会は、抜き打ちテストに踏み切りる事を決断するのです。 有名な1974年カラカスで開催された、パン・アメリカンゲームズが、最初の犠牲者達です。 当時沢山の選手が試合前の夜中に、会場を後に夜逃げを企みましたが、待ち構えていたリポーターやカメラマンに包囲されてしまったという事件です。

1980年代の最初、オリンピック協会は無差別に選んだ出場選手に、試合前48時間以内に尿サンプルを提出するよう要求しました。拒否した場合は、ドラッグ使用者と同じ扱いとし、罰則を与えたのです。 その場合、1回目は2年間の出場停止、2回目は永久追放というものでした。 しかしこの罰則も、決してフェアというものでは無かった様です。 ある者は、違法のクスリと知らず使っていた薬が検知した為、永久追放に追い込まれ、又ある者は、弁護士や政治家のコネを利用して罰則を逃れようとしました。 その当時伝説と謳われた沢山の選手が、テストに引っ掛かった後、自己の名誉を汚さぬよう、黙って引退するようオリンピック委員会に催促され、実際に沢山引退して行ったという話は余りにも有名です。 

1歩先を行く
競技者は、常にドラッグテストの1歩先を歩んできました。 優れたアナボリック・ステロイド検査器が導入された時、皆が一斉に男性ホルモンや成長ホルモンを摂り始めました。 何れも体内で合成される為、検知出来ないであろうという事でした。 しかし科学者は研究を進め、 男性ホルモンが過度に体外から摂取された場合、尿中に降りてくるエピテストステロンという物質と、血中のテストステロン(男性ホルモン)との比率が、本来の1対1から狂うという事を発見しました。 すると選手達は、エピトステロンを注射で打ち、比率を整える事で、またも法の目をくぐって来たのです。

成長ホルモンはドーピング・コントロール研究所にとって現在悩みの種です。 というのは成長ホルモンは尿に出てこないからです。 科学者は、体外から摂取された成長ホルモンを、血液検査で検知する確かな方法を考案したのですが、現在のドーピングルールでは、血液検査の許可は降りていません。 従って現在の競技者にとって、筋肉増強剤のチョイスとしては、非常に有効な成長ホルモンとなっています。 但し安くはありません。 1週間およそ$200-$600 かかります。 
ロンドンのドーピング・コントロール研究所のデビッド・コーアン博士は、常に選手が求めている薬をいち早く知る為にも、アメリカやイギリスのボディビル雑誌を購読し、情報を収集していると言います。

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