ミケランジェロ 1475−1564

レナサンス(ルネサンスの事)の基を築いた、16世紀イタリア芸術家の最高峰の1人 です。 彫刻、絵、建築、詩という幅広い分野で歴史的な芸術作品を沢山造りました。

行政士官の息子としてカプリスで誕生。 芸術家を志すが、当時芸術家は貴族階級 に属さないという理由から父に反対されます。 しかし本人の強い願望より、13歳の時ガーランダイヨ(Domenico Ghirlandaio)の元へ修行に3年間通います。 後にこの頃の 修行につき、ミケランジェロは自由な芸術観念が型にはまる事に異議を持ち、否定す る意見を述べ、本人の芸術的スタイルは自分自身が生み出したものと主張します。 しかし専門家に言わせると、ミケランジェロの絵は明らかにガーランダイヨから学んだ フレスコ画法(当時の絵画法)が基盤となっていると言います。


 ↑ギュリアノ(Giuliano)

その後ロレンツォ(Lorenzo)の学校で更に学び、1492年ロレンツォが亡くなった後ミケランジェロは病院で解剖学を習う許可を得ます。 この経験が後に、筋肉や肉体を生々しく描写する作品に貢献する事となるのです。 

1496年6月、ミケランジェロはローマにおり、既に2つの彫刻で名を馳せていました。 1つは酔ったバッカス(酒の神)ともう1つは
ピエタ(Pieta:キリストの死体を抱き悲しむ聖母マリアの姿)をセントピーター教会の為に造った作品です。

ミケランジェロの作品は、殆どが日本の皆様の目に触れた事が有るものですが、そのピエタは一般にあまり知られていないかも知れません。 しかしピエタはミケランジェロの早期作品としては特に際立った出来とし、その作品からかもし出す深く感動的な印象は、芸術の世界で高く評価されています。 特に細部に渡る丁寧な仕上げは、後のミケラン ジェロの作品には見られないのも特徴です。 この作品を造った当時、ミケランジェロは弱冠23歳でした。         ピエタは
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ミケランジェロはその後も沢山の歴史的な彫刻を残しておりますが、彼が大理石の塊(かたまり)を 内側に向かって彫刻する作業についてこう言います”大理石の中に閉じ込められた像を開放する!”と。 それら作品は一部荒削りのまま残す事で、本当にその像が自由になりたがっている様に見える事から、 完璧に仕上げた作品より強烈なメッセージを訴えかけると評されます。 この偶然の産物が大きな意味を作品にもたらすという事で、後に”考える人”を造った事で有名な、ロダンにも大きな影響を与えます。

ミケランジェロの絵で代表的に取り上げられるのが、システィーン礼拝堂内の壁画です。 正に”壮麗 (そうれい)”とはこの作品の為に有る単語のようなもので、どちらが天で地なのか決まっていないリズムで描かれています。  その見事な絵画は、この世の者が創り出したとは思えない程の、自由で束縛され ていない傑作です。  その溢れ出るイメージは一体どこからやってくるのか、私達凡人には不思議で なりません。 
当時これら天井にある壁画は、実際1日中上を向き、垂れてくる絵の具を頭からかぶりながら描いたのです。 それは大変な大仕事で、非常に体力が要される作業だったと言います。

その人類史上、最高峰の芸術家が執念で描いたとされる礼拝堂の中を見渡した景色がコレです→ここをクリック!

その礼拝堂の天井を真上に見上げるとこの様に見えます→ここをクリック! 
因みにこの天井の作品はthe ceiling(ザ・シーリング/天井)と呼びます。

その中央に見えるこの絵は(絵右→)有名な”クリエイション(Creation/創造)”と呼ばれ、これら絵画は聖書に載ってあるストーリーをもとに描かれています。 

この絵画を教会より頼まれた時は、当時ミケランジェロは33歳で、完了するまで4年掛かっています。 その間のエピソードとして、作業開始後協力者達の伝統的フレスコ画法や仕事振りが気に入らなく、直ぐに協力者達を解雇します。 そこ後殆どの作業をミケランジェロ1人で仕上げたといいます。

その後更に教会からシスティーン礼拝堂の祭壇の壁画を頼まれます。 時にミケランジェロ61歳です。 作業は5年の歳月が掛かる事となります。 その作品はバイブルのラスト・ジャッジメント(the Last Judgement/最後の判決)について描かれたもので、それが作品のタイトルでもあります。 その絵はここをクリック!1536-1541

このラスト・ジャッジメントは、29年前礼拝堂に描かれたのザ・シーリング(天井)の思想から大きく異なり、ミケランジェロが生涯残した作品の中で最も議論を呼んだ作品の1つです。 その批判された理由は裸が多く描写されている為で、一方絶賛された理由は、その目を見張る芸術的仕上がりの完成度からです。

この作品の表現は、手掛ける前の1527年にローマが戦争で酷い目に遭った事が大きく影響しています。
ザ・シーリングの作品では、希望と自信が絵に込められているのに対し、ラスト・ジャッジメントでは悲観的に感情の苦闘が表現されています。 

この絵は下方に居る罪深き者達が地獄から這い上がって来る中、聖人達が神を囲み、正義の判決を求めている瞬間を描いているのです。


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