|
2001年アニバーサリー号
シャガール (Marc Chagall) 1887-1985
|
マーク・シャガールはロシア生まれのフランス画家です。 家系はユダヤ人で、幼い頃
より厳格なユダヤ教を習います。
シャガールは芸術に幼い頃より興味を覚え、彼の母はそれを奨励したのです。 そして
何とかセント・ピーターズバーク芸術学校に母は入れてあげるのです。
学校を卒業後、再び故郷のビーテプス市に戻り、ベラ・ローゼンフェルド(シャガールが
12年後に結婚する女性)と婚約をし、芸術の都パリに向かったのです。 時に1910年の
事です。
シャガールの住んだアパートの住人には、有名な画家が揃っており、それら隣人の影響
が色濃く彼の作品に後に出ます。 その隣人とは、モディーリアーニー(Modigliani)です。
彼の作品に影響を与えた有名な画家とは、他にはドーミエイ(Daumier)がいます。 そして
当時ピカソをはじめとする、キュービズム(Cubism/立体的画法)の影響も強く受けます。
1914年、シャガールは再びビーテプス市に戻ります。 当時世界は第一次世界大戦が
始まったばかりで、ビーテプスにもその影響は出ていたのです。
シャガールは翌年1915年、ベラを妻として結婚します。 更に1917年、優れた芸術を
支持する組織ファイン・アートの地域コミッショナーに任命されます。 そして現地の大学で
情熱的に作品を手掛けるのです。 しかしそれも束の間、2年半後にはマレビックの影響
を避ける為この地を出ます。 そしてモスクワに引っ越すのです。 そこではユダヤ人の
劇団で仕事を務め、その後ベルリンに移り彫刻について学びます。
1923年、パリに再び戻ります。 そこでボラード(Vollard)という出版社の為に幾つかの絵
を描きます。 それら作品は出版社側より、その素晴らしい非現実的な感情表現を指して
「情熱の爆発」とまで絶賛されるのです。 この事につき、後にニューヨーク市(1941-1948)
に亡命中、そう大した事だとは思っていなかったと言います。
シャガールの作品の特徴は、全く既存の概念を寄せ付けず、常識や良識の域を飛び
出し、現実と幻想の世界が織り交ざる傑作と評価されます。 それら独自のコンセプトは、
ビーテプスで生まれ、パリで育ったと言われます。
フランスに話しは戻りますが、彼はそこで彫刻した焼き物やステンドグラスにも興味を
持ちます。
後世はフランスの南部に落ち付く事となります。
ではその傑作と呼ばれるシャガールの作品を紹介したと思いますが、何よりも1つこれら
作品を見る前に心してもらいたいのが、彼の作品には時代を超越した素晴らしさがある
という点です。 この非現実的な表現、色合いに注目して下さい。 そして中には非常に
インパクトが強い作品が並んでいます。 思わず何かを考えさせられるでしょう。
では、世界中が絶賛したインパクトあるシャガールの作品をご覧下さい。
因みにここに列挙したのは、沢山ある彼の作品の中の本のごく一部です。
尚( )内の日本語名は、理解しやすく特別に日本語訳したもので、正式名称ではありま
せん。
1911年作 I and the Village (私とその村)
この1枚の絵に、彼の村に対するイメージが凝縮されています
1912年作 Adam and Eve (アダムとイブ)
あなたに理解できるかな?
1913年作 The Flying Carriage (空飛ぶ荷馬車)
現実と幻想が混ざってます
1913-14年作 Self-Portrait with Seven Fingers (七本の指を持つ自画像)
非常に個性が強く、忘れられないインパクトを持つ作品です。
1915年作 Birthday (誕生日)
妻への愛情が感じられる1枚です
1938年作 White Crucifixion (白い十字架)
キリストを取り巻く世の中を表現しています
|